仏の顔も3度まで、の続きを考える
仏の顔も三度まで
という
諺があります。
人を
怒らせるようなことを
したとして、
どんなに穏やかな人(仏)でも
三度目までは許しますが
四度目からは許しませんよ
みたいな意味だと
理解してます。
しかし
この諺、
仏の顔も三度まで・・・何?
って
なってしまいませんか。
つまり
三度まで「どうした」
の部分が
欠けているように
思えるんです。
普通に
考えれば
仏の顔も三度までしか許しませんよ
ということなのでしょうが、
もしかしたら
仏の顔も三度まで持ちません
かもしれません。
あるいは
仏の顔も三度までは無理
かもしれません。
すると
3度までOK
なのか
3度やったら怒るよ
なのか
3度目の挙動が
見えなくなるわけです。
もしかしたら
仏の顔も三度まで、否、四度五度も
もしかしたら いけるかもしれないけど
怒らないならいいやとか
そういうのに甘えちゃだめだと思う
かも
しれません。
こうなるともう
何でもありの
様相を呈するので
ここらへんで
やめておこうと思います。
いっそ
仏の顔も三度までです
って
役所の窓口並みに
きっぱりと
言いきっちゃえば
こんな
くだらないこと
悩む必要は
なかったわけです。
でも
そうすると
語呂が悪くなり
諺としての魅力を
大きく損なうわけですから
ここは
迷いどころです。
いえ、
この諺が意味するのは
どんなに穏やかな人だって
何回も失礼なことしたら
さすがに怒るよ
というのが趣旨なので
3回か4回かという
線引きは
重要ではないことは
分かっております。
しかし
野球でも
3ストライク制か
4ストライク制かは
ゲーム性において
大きく
変わってくるため
ここは
厳密にいきたいのです。
もしかしたら
三度か四度か
わからなくさせて
次が三度目だが
三度目だと
さすがに怒るか・・・
いや三度目までは大丈夫か・・・
と
日々
緊張感を持って生きろよ、
という
制作者の意図なのかも
しれません。